派遣高校生レポート

「Jumpa lagi, Malaysia」

渋谷教育学園幕張高等学校 2年
高橋 祐貴

私がこの研修に応募した最初のきっかけは、マレーシアにある建築を見たいと思ったことである。その目的は結局果たされることなく終わったが、そのかわりに得たものは生涯にわたって忘れないだろうと思われる豊かな経験であった。その中からいくつかを紹介したい。

発展

ダニエルや友人たちと

マレーシアに着いて一番に驚いたことといえば、やはりマレーシアの発展ぶりだろう。成田空港より大きなクアラルンプール国際空港、道を走るうちにみえてくるKLの高層ビル群、街を歩く人々に立ち並ぶ店やショッピングモール。どれをとっても日本との隔たりを感じないような近代的な様相を見せていた。さらにどこへ行っても何かしら道路や建物が工事されている状況はこれからも発展を続けるのであろうという期待感を呼び起こすものであり、同行したライターの小野さんの「日本の高度成長時代に似ている」という言葉もさもありなんという感じであった。

ホストファミリーと

ただ、日本とは発展の過程が違うとも見ていて思った。日本でもよく見るブランドの店が立ち並ぶブキッ・ビンタンの繁華街では、案内してくれたサイドさんによると客のほとんどが外国人観光客らしい。私たちが入ったショッピングモールで買い物していた人々はよく見るとほとんどが中華系であったが、あとから考えてみるとあれは中国からの観光客だったのかもしれない。既存から建設中含めすべてのショッピングモールが私が見た限りでは外国資本(特に中国系)であったし、自動車のプロトンを除いてステイ先の家で自国製の電化製品を見ることもなかった。要するに、マレーシアの発展が外国に依存しているように感じたのである。もちろんこれは私の感触であって実際のところがどうなのかはわからない。はたしてマレーシアが今後どのように発展していくのか、これから徐々に自国企業による開発が増えていくのかどうか、これからも追い続けたい。

生活に密着するイスラム教

マレーシアの発展の象徴、ペトロナス・ツインタワー

マレーシアで直接経験することで理解を深めたいと思っていたことの一つに、イスラムの生活がある。今までイスラム教の国へ行ったことはなく、あまりムスリムと関わる機会もなかったため、イスラム教を信仰する人々が宗教に対してどのような感覚を持っているのか、またどのような日常を送っているのか、ということがなかなかわからず、それらを知りたいと思っていた。

実際にホームステイなどを通じて感じたのは、イスラム教は私が思っていたより寛大で身近な宗教だということだ。マレーシアへ行く前、私はイスラム教は戒律が厳しく、1日に5度の礼拝義務や、食べ物の制限などがあり、息苦しい宗教であると考えていた。またそういった宗教的義務と生活を両立するのは大変そうだとも感じていた。しかし現地で人々の生活に触れて、礼拝は時間に幅があったり場所もモスクでなくても良かったりと、意外に自由なものであることや、ハラルフードだけでも非常に豊かな食事を作れることがわかった。また、ホストブラザーのダニエルやその友人がモスクへ礼拝に行くのについて行ったのだが、その時の気軽な空気ときたらまるで友達と公園に行くかのようで、いかに宗教が生活に溶け込んでいるかを実感できた。日本人的な感覚から宗教と生活を分けて考えていたが、マレーシアでは宗教と生活が一体であり、宗教行事も特別なものではないのだ。朝起きる時間も1度目の礼拝の時間によるし、食事も戒律に基づくものとなれば、いかに宗教が身近なものかがわかる。ちなみに休日も朝5時くらいの礼拝の時間に起きなければならないのは健康的だがつらいだろうと思っていたら、二度寝する人もおり、そこは日本と変わらないのだなと微笑ましい気分になった。

日本人であるということ

モスクでの礼拝風景

マレーシアで過ごして一番強く感じたのは、自分が日本人であるということの意義である。マレーシアでの日本の存在感というのは、私の想像をはるかに超えるものであった。以前に訪れたアメリカやニュージーランドでは一度もなかったことだが、自分が日本人だと言うと皆が興味を示し、知っている日本語で話しかけてくれたり、自分の日本での留学や旅行の経験を教えてくれたりした。誰もが何かしらの日本語を知っていたり、日本への渡航経験があるという事実は、マレーシアにとって日本がいかに身近な国かを物語っている。自分と同年代であるダニエルやその友達は、アニメを端として特に日本に強い興味をもっていた。アニメを字幕なしで理解できるようになりたいと思うからか、日本語についてよく質問され、ひらがな・カタカナ・漢字の由来を説明したり、英語を介して互いに日本語やマレー語の単語を教え合ったりした。話によるとマレーシアでは学校で学ぶ第三言語として多くの人が日本語を選択するらしい。このような会話を経験するうちに、自分はここでは日本人であることで彼らにもたらせるものがあるのだ、ということに気づいた。日本の言語や街の様子、生活などを伝えるだけで喜んでもらえるというのは嬉しく、自分が日本人で本当に良かったと思った。

至る所で行われている工事

マレーシアと日本の関係に関して、一つ印象に残っていることがある。歴史のことだ。ホームステイの初日にダニエルと授業の話をしたとき、彼は歴史で日本のことも習うと言っていた。一体何を習うのかと思ったら、太平洋戦争時の日本のマレーシア占領のことなのだそうだ。近所の博物館で日本占領期の資料を見ながら、なぜこのような悲しい歴史があるのにもかかわらずマレーシアの人々は日本を好いてくれるのかとダニエルに尋ねたら、戦争の歴史よりもその後の協力関係に目を向けているからだと語ってくれた。このような寛容さこそが、マレーシアが多くの民族を抱えながらも安定してやっていける所以なのだろうか。逆に日本ではマレーシアに関してどのようなことを習うのかと聞かれた時の恥ずかしさは忘れられない。私は日本人として、もっと日本が昔マレーシアで何をしたのかということについて学ばなければならないと感じた。

今回の研修で私は様々なものを得た。マレーシアについての知識や、異国の文化に触れて獲得した新たな視点。何よりも大きいのは、現地の人々とのつながりだ。いつになるかはわからないが、私は確実にまたマレーシアへ戻るだろう(何しろ目的を一つ達成できていないので)。その時にまた色々なことを語り合えるよう、このつながりを保ち続けるとともに、もっとマレーシアのことを学び、彼らへの理解をより深いものにする努力を続けていきたい。



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